初めて赴任した学校はある県の男女共学の進学校でした。研究室に掃除にくる3年生の子と仲良くなりました。背は小さいですが、内田由紀と白石美帆をさらに可愛くした感じの子で私が惚れてしまいました。私が22歳、彼女が17歳です。私はサッカーの県代表で、教員団体の国体選手でした。あちこちに遠征しては、掃除のときに、研究室にくる彼女にお土産を渡していました。私の誕生日のときに机にリボンをむすんだ手作りケーキが置いてありました。彼女からでした。手紙もありました。だいすきな○○先生へとありました。彼女も私のことを好きだってわかって私はアパートで舞い上がって味わってたべました。こうして、私の机を媒介にして手紙のやりとりが始まりました。でも、学校では手もにぎらず、もちろんキスもしたことのない恋でした。私は童貞ではありません。高校3年の時、初体験していらい3人の女性とつきあいました。が、それぞれ事情があり別れました。彼女にはなぜか初恋のような触れてはいけないような雰囲気を感じていました。相思相愛ということだけで十分でした。彼女の誕生日には、二人のネーム入りの指輪を贈りました。進学補習で彼女を教えることになりました。彼女は東○大学をめざしていました。私も本気で勉強を教えました。彼女もそれに応えて頑張りました。共通一次と言っていた時代です。彼女の大学受験の日に学校をやすんで応援に行きました。はじめて、手を握って頑張れよっていいました。試験が終わって、二人で手をつないで、大学校内を散歩したり、公園にいったりしました。けれど、結果は不合格でした。彼女は浪人しました。駿○予備校の午前部で彼女は頑張りました。遠距離になりましたが、定期的に手紙のやりとりはしました。ていねいな彼女の字はそれだけで私の心をなごませました。夏休みに上京して、はじめてキスをしました。それからは会うたびにキスまではしました。が、やはり、私が教師であることと、彼女は浪人の身であることでそれ以上にはすすみませんでした。3月になりました。発表がありました。私も上京しました。合格していました。二人で私のホテルで乾杯しました。抱きしめました。はじめて裸で抱き合いました。が、それ以上は彼女が怖がるのでやめました。抱き合っているだけで幸せでした。大学に入って5月の連休に彼女がとつぜん私のアパートにやってきました。新入生歓迎コンパで酔わされて記憶のないままもしかしたらされたのかもしれないと言いました。もしそうでも私は彼女が大好きでしたから、大丈夫だよと言いました。その日、とうとう結ばれました。処女でした。彼女が大学卒業したら、結婚するつもりでいました。ところが、3年の夏に事件がおきました。彼女はあるレイプグループに襲われたのでした。美人でしたからねらわれていたようで、帰宅途中をワゴン車の中へ連れ込まれて3人がかりで代わる代わる犯されました。プロのグループでビデオにも撮られたようです。警察に届けました。犯人はつかまりましたが、悪いことに妊娠してしまいました。私は自分の子として育てようと思いましたが、彼女の家は由緒ある家でしたから、絶対にそれは許しませんでした。結局、彼女は子供をおろして、アメリカへ留学することになりました。彼女の家からも、彼女とのことは忘れてほしいと言われてしまいました。私は学校をやめて、犯人らを殺してやりたいくらいに憎みました。彼女も最初は、親の反対を押し切っても私と結婚をと思ってましたが、学校をやめるなどという私の将来も考えたのでしょうか。やがてアメリカで好きな人ができました。いままでありがとうございましたとの手紙が来て、それ以来音信不通になりました。3年後に、風のたよりで、留学先のアメリカ人の大学講師と結婚したことを聞きました。それで私もようやく気持に区切りがつきました。
初めて赴任した学校はある県の男女共学の進学校でした。
研究室に掃除にくる3年生の子と仲良くなりました。
背は小さいですが、内田由紀と白石美帆をさらに可愛くした感じの子で私が惚れてしまいました。
私が22歳、彼女が17歳です。
私はサッカーの県代表で、教員団体の国体選手でした。
あちこちに遠征しては、掃除のときに、研究室にくる彼女にお土産を渡していました。
私の誕生日のときに机にリボンをむすんだ手作りケーキが置いてありました。
彼女からでした。
手紙もありました。
だいすきな○○先生へとありました。
彼女も私のことを好きだってわかって私はアパートで舞い上がって味わってたべました。
こうして、私の机を媒介にして手紙のやりとりが始まりました。
でも、学校では手もにぎらず、もちろんキスもしたことのない恋でした。
私は童貞ではありません。
高校3年の時、初体験していらい3人の女性とつきあいました。
が、それぞれ事情があり別れました。
彼女にはなぜか初恋のような触れてはいけないような雰囲気を感じていました。
相思相愛ということだけで十分でした。
彼女の誕生日には、二人のネーム入りの指輪を贈りました。
進学補習で彼女を教えることになりました。
彼女は東○大学をめざしていました。
私も本気で勉強を教えました。
彼女もそれに応えて頑張りました。
共通一次と言っていた時代です。
彼女の大学受験の日に学校をやすんで応援に行きました。
はじめて、手を握って頑張れよっていいました。
試験が終わって、二人で手をつないで、大学校内を散歩したり、公園にいったりしました。
けれど、結果は不合格でした。
彼女は浪人しました。
駿○予備校の午前部で彼女は頑張りました。
遠距離になりましたが、定期的に手紙のやりとりはしました。
ていねいな彼女の字はそれだけで私の心をなごませました。
夏休みに上京して、はじめてキスをしました。
それからは会うたびにキスまではしました。
が、やはり、私が教師であることと、彼女は浪人の身であることでそれ以上にはすすみませんでした。
3月になりました。
発表がありました。
私も上京しました。
合格していました。
二人で私のホテルで乾杯しました。
抱きしめました。
はじめて裸で抱き合いました。
が、それ以上は彼女が怖がるのでやめました。
抱き合っているだけで幸せでした。
大学に入って5月の連休に彼女がとつぜん私のアパートにやってきました。
新入生歓迎コンパで酔わされて記憶のないままもしかしたらされたのかもしれないと言いました。
もしそうでも私は彼女が大好きでしたから、大丈夫だよと言いました。
その日、とうとう結ばれました。
処女でした。
彼女が大学卒業したら、結婚するつもりでいました。
ところが、3年の夏に事件がおきました。
彼女はあるレイプグループに襲われたのでした。
美人でしたからねらわれていたようで、帰宅途中をワゴン車の中へ連れ込まれて3人がかりで代わる代わる犯されました。
プロのグループでビデオにも撮られたようです。
警察に届けました。
犯人はつかまりましたが、悪いことに妊娠してしまいました。
私は自分の子として育てようと思いましたが、彼女の家は由緒ある家でしたから、絶対にそれは許しませんでした。
結局、彼女は子供をおろして、アメリカへ留学することになりました。
彼女の家からも、彼女とのことは忘れてほしいと言われてしまいました。
私は学校をやめて、犯人らを殺してやりたいくらいに憎みました。
彼女も最初は、親の反対を押し切っても私と結婚をと思ってましたが、学校をやめるなどという私の将来も考えたのでしょうか。
やがてアメリカで好きな人ができました。
いままでありがとうございましたとの手紙が来て、それ以来音信不通になりました。
3年後に、風のたよりで、留学先のアメリカ人の大学講師と結婚したことを聞きました。
それで私もようやく気持に区切りがつきました。