学生時代、家庭教師のバイトをしていたときの事です。当時バンドをやっていた僕はいつも金がなく、下宿の近くの銀行の掲示板に家庭教師希望と書き込んでいると、それを見ていた40歳くらいのきれいな奥さんが「うちの娘を見てあげてくれないかしら」と声をかけて来ました。条件面ではすぐ折り合いがつき、翌日から家庭教師が始まりました。娘は美紀という高校1年生のとても可愛い娘でした。彼女の志望大学は、僕の通う大学でした。部屋には彼女の好きなロックバンドのポスターが貼ってありました。僕が大学のサークルでバンドをしている事を話すと彼女の目は輝きました。音楽の話をはじめると嬉しそうに聞き入っていました。彼女は頭はいい子でしたが要領が悪いところがあり、試験の押さえどころをはずすタイプだなとすぐ解りました。なるべく効率の良い勉強の方法を教えると、美紀はとても素直に話を聞き、飲み込みもとても良い子でした。そして翌週の英語の小テストで、一気に成績が上がってしまいました。美紀の両親、特に母親は狂喜し、自分が私を銀行で見つけてきた事を父親に自慢していました。そして美紀には高価な洋服、私にはボーナスをくれました。美紀は完全に僕のことを信頼し、私に対する好意は一気に高まりました。「美紀ちゃんの成績があんまり上がらないと俺クビになっちゃうもんな。」と言うと美紀は顔色を変え、「一生懸命勉強するよ。成績上げるようにがんばる。」とけなげに言いました。そして本当に成績はびっくりするほど上がっていきました。 ある日、大学に遊びに行きたいというので、両親の許可を取ってバンドのサークルの部室へ連れて行きました。彼女は部室の片隅で、僕がギターを弾いている姿を見つめていました。バンドのほかのメンバーは全員大学内に彼女がいて、みんなバンドの練習を見に来ていました。美紀は自分だけ子供の感じがしていたようで、練習が終わって学食で食事をして家に送っていくと、帰る道々恋人はいるのか、大人の女性がタイプか、などを聞いてきました。「今彼女はいないんだ。」というと嬉しそうに腕をからめて甘えてきました。家に着くと母親がちょうど出かけるところで、「お父さんと待ち合わせて出かけてくるわ。美紀、今夜は少し遅くなるから戸締りちゃんとお願いね。」と言いました。 母親が出かけると美紀はコーヒーを淹れ、僕の隣にぴったり座りました。彼女の体温を感じ、胸のふくらみが僕の腕に密着すると、それまでは子供と思っていた美紀に急に女を感じました。自然に抱き寄せ唇を近づけると、美紀はそれを待っていました。そして彼女の胸を触ると「あ、、」と声を出して目を閉じ全てを許すように僕に体を預けました。そしてぎこちないキスをしながら手をスカートの中に入れると一瞬足を閉じましたが、すぐに手が自由に動くように足を少し開きました。パンツの上から彼女のオマンコを触り、指で溝にそってさすると彼女の息は荒くなりパンツが湿ってくるのが解りました。「気持ちいい?」と聞くと無言でうなずき「俺のこと好き?」と言うと「大好きよ。はじめてこんなに好きになった」僕は彼女のパンツをずらして指を入れ、クリトリスを触りました。もう充分に湿っていました。「初めての人は、先生って決めてたの。」彼女は目を閉じ、荒い息で囁きました。ソファーに彼女を腰掛けさせ彼女の服を脱がせて乳首を吸うと、首を振っていやいやをするようにしていました。パンツを取って足を開き、美紀の濡れたオマンコは小陰唇がピンクでとてもきれいでした。僕は床に座って彼女のオマンコを舐めると、彼女はソファーの敷物をつかみ快感に耐えているようでした。 彼女のオマンコには最初なかなかオチンチンが入りませんでしたが、徐々に入っていき根元まで入って、僕のおなかが美紀のおなかにくっつくと美紀はしがみついて来ました。血は出ませんでした。ゆっくりとオチンチンを出し入れすると、入れる度に「ほっ」と可愛い声を出しました。痛みと、僕とつながった喜びと、若干の快感があったそうです。いきそうになったので「恋人になると精子を飲むんだよ」と言って彼女にの口にオチンチンを近づけると、彼女は何のためらいもなく口に咥えました。そして大量に放出した精子を飲み込みました。「少し苦いね。私と先生は恋人になったの?」と聞いたので「うん。」というと彼女は初めて泣きました。その日は両親が帰ってくる直前まで彼女の体を抱いて触ってやりました。「痛かった?もうしたくない?」と聞くと「痛かったけど、少し気持ちも良いかな」「何回もするとすごく気持ちが良くなるよ」「じゃあたくさんして」といい何度もキスをしました。それからは家庭教師しながら、彼女がちゃんと覚えるとご褒美にオッパイを揉んだり、オマンコを触ってあげました。休憩にはフェラチオをさせて、僕はコーヒーを飲みました。僕が欲しくなると、僕のズボンとパンツをおろし、彼女はパンツだけ脱いでオチンチンをオマンコに挿入し、息を殺しながらセックスしました。美紀の成績はこんな事をしていてもどんどん上がり、セックスももどんどん上手になり、アクメを感じるまでになりました。完全に僕の女、と言うより性のとりこになった美紀は何でも素直に言う事をきき、アナルセックスや浣腸にも応じました。美紀の両親は何も知らぬまま家庭教師の報酬は月に20万円になり、さらに美紀の家の近くの、両親が経営するアパートにただで入る事も出来ました。もちろん大学は無事に合格しました。美紀は成績優秀で顔立ちも美しくなって、キャンパスでは多くの男子学生の憧れの的になりましたが、僕の前では淫乱でいつも僕とつながっていたい、僕のオチンチンをしゃぶっていたい、娼婦のようでした。それでも僕はずっと家族同然の扱いで、大学を卒業してもアパートにただですまわせてもらっていました。彼女が大学3年のとき僕が転勤、会えなくなって8年経ちました。僕は転勤後、取引先の娘と見合いで結婚してしまい、美紀は何日も泣いたと言っていました。美紀はいまだに結婚せず、時々出張で東京であうと前と同じで乱れまくってセックスをします。まだ僕の事を一番好きだと言っています。
学生時代、家庭教師のバイトをしていたときの事です。
当時バンドをやっていた僕はいつも金がなく、下宿の近くの銀行の掲示板に家庭教師希望と書き込んでいると、それを見ていた40歳くらいのきれいな奥さんが「うちの娘を見てあげてくれないかしら」と声をかけて来ました。
条件面ではすぐ折り合いがつき、翌日から家庭教師が始まりました。
娘は美紀という高校1年生のとても可愛い娘でした。
彼女の志望大学は、僕の通う大学でした。
部屋には彼女の好きなロックバンドのポスターが貼ってありました。
僕が大学のサークルでバンドをしている事を話すと彼女の目は輝きました。
音楽の話をはじめると嬉しそうに聞き入っていました。
彼女は頭はいい子でしたが要領が悪いところがあり、試験の押さえどころをはずすタイプだなとすぐ解りました。
なるべく効率の良い勉強の方法を教えると、美紀はとても素直に話を聞き、飲み込みもとても良い子でした。
そして翌週の英語の小テストで、一気に成績が上がってしまいました。
美紀の両親、特に母親は狂喜し、自分が私を銀行で見つけてきた事を父親に自慢していました。
そして美紀には高価な洋服、私にはボーナスをくれました。
美紀は完全に僕のことを信頼し、私に対する好意は一気に高まりました。
「美紀ちゃんの成績があんまり上がらないと俺クビになっちゃうもんな。
」と言うと美紀は顔色を変え、「一生懸命勉強するよ。
成績上げるようにがんばる。
」とけなげに言いました。
そして本当に成績はびっくりするほど上がっていきました。
ある日、大学に遊びに行きたいというので、両親の許可を取ってバンドのサークルの部室へ連れて行きました。
彼女は部室の片隅で、僕がギターを弾いている姿を見つめていました。
バンドのほかのメンバーは全員大学内に彼女がいて、みんなバンドの練習を見に来ていました。
美紀は自分だけ子供の感じがしていたようで、練習が終わって学食で食事をして家に送っていくと、帰る道々恋人はいるのか、大人の女性がタイプか、などを聞いてきました。
「今彼女はいないんだ。
」というと嬉しそうに腕をからめて甘えてきました。
家に着くと母親がちょうど出かけるところで、「お父さんと待ち合わせて出かけてくるわ。
美紀、今夜は少し遅くなるから戸締りちゃんとお願いね。
」と言いました。
母親が出かけると美紀はコーヒーを淹れ、僕の隣にぴったり座りました。
彼女の体温を感じ、胸のふくらみが僕の腕に密着すると、それまでは子供と思っていた美紀に急に女を感じました。
自然に抱き寄せ唇を近づけると、美紀はそれを待っていました。
そして彼女の胸を触ると「あ、、」と声を出して目を閉じ全てを許すように僕に体を預けました。
そしてぎこちないキスをしながら手をスカートの中に入れると一瞬足を閉じましたが、すぐに手が自由に動くように足を少し開きました。
パンツの上から彼女のオマンコを触り、指で溝にそってさすると彼女の息は荒くなりパンツが湿ってくるのが解りました。
「気持ちいい?」と聞くと無言でうなずき「俺のこと好き?」と言うと「大好きよ。
はじめてこんなに好きになった」僕は彼女のパンツをずらして指を入れ、クリトリスを触りました。
もう充分に湿っていました。
「初めての人は、先生って決めてたの。
」彼女は目を閉じ、荒い息で囁きました。
ソファーに彼女を腰掛けさせ彼女の服を脱がせて乳首を吸うと、首を振っていやいやをするようにしていました。
パンツを取って足を開き、美紀の濡れたオマンコは小陰唇がピンクでとてもきれいでした。
僕は床に座って彼女のオマンコを舐めると、彼女はソファーの敷物をつかみ快感に耐えているようでした。
彼女のオマンコには最初なかなかオチンチンが入りませんでしたが、徐々に入っていき根元まで入って、僕のおなかが美紀のおなかにくっつくと美紀はしがみついて来ました。
血は出ませんでした。
ゆっくりとオチンチンを出し入れすると、入れる度に「ほっ」と可愛い声を出しました。
痛みと、僕とつながった喜びと、若干の快感があったそうです。
いきそうになったので「恋人になると精子を飲むんだよ」と言って彼女にの口にオチンチンを近づけると、彼女は何のためらいもなく口に咥えました。
そして大量に放出した精子を飲み込みました。
「少し苦いね。
私と先生は恋人になったの?」と聞いたので「うん。
」というと彼女は初めて泣きました。
その日は両親が帰ってくる直前まで彼女の体を抱いて触ってやりました。
「痛かった?もうしたくない?」と聞くと「痛かったけど、少し気持ちも良いかな」「何回もするとすごく気持ちが良くなるよ」「じゃあたくさんして」といい何度もキスをしました。
それからは家庭教師しながら、彼女がちゃんと覚えるとご褒美にオッパイを揉んだり、オマンコを触ってあげました。
休憩にはフェラチオをさせて、僕はコーヒーを飲みました。
僕が欲しくなると、僕のズボンとパンツをおろし、彼女はパンツだけ脱いでオチンチンをオマンコに挿入し、息を殺しながらセックスしました。
美紀の成績はこんな事をしていてもどんどん上がり、セックスももどんどん上手になり、アクメを感じるまでになりました。
完全に僕の女、と言うより性のとりこになった美紀は何でも素直に言う事をきき、アナルセックスや浣腸にも応じました。
美紀の両親は何も知らぬまま家庭教師の報酬は月に20万円になり、さらに美紀の家の近くの、両親が経営するアパートにただで入る事も出来ました。
もちろん大学は無事に合格しました。
美紀は成績優秀で顔立ちも美しくなって、キャンパスでは多くの男子学生の憧れの的になりましたが、僕の前では淫乱でいつも僕とつながっていたい、僕のオチンチンをしゃぶっていたい、娼婦のようでした。
それでも僕はずっと家族同然の扱いで、大学を卒業してもアパートにただですまわせてもらっていました。
彼女が大学3年のとき僕が転勤、会えなくなって8年経ちました。
僕は転勤後、取引先の娘と見合いで結婚してしまい、美紀は何日も泣いたと言っていました。
美紀はいまだに結婚せず、時々出張で東京であうと前と同じで乱れまくってセックスをします。
まだ僕の事を一番好きだと言っています。